KOCHEのショーは色々なものが「規格外」。
会場しかり(通常にあてがわれる、整った公式会場ではなく、
場末でなにかと雑なアーケード。どんな立場の人であれ総じて立ち見。)、
モデルさんしかり(通常のランウェイ・モデルも交じる中、存在感を放つのは
ストリートでハントしてきたモデルさん達、性別、国籍、体型、身長もバラバラ、
共通項はただ一つ、「その人となり」が強烈かどうか、だ)。
ストリートの要素と、メゾンで積んだクチュール並みの経験から作られた洋服達。
何かが違う、と思ったのはそれぞれの要素の扱い方、とか捉え方なのかもしれない。
それぞれの要素を「相対する要素」としてとらえてないのだ。
つまり
ストリートの要素と、モードとかクチュールの要素の組み合わせとか
ハイ&ローのそのミックス感とか、
そういう違和感がかっこいいでしょ、っていうんじゃなくて。
ストリートとモード、クチュールが「溶け合ってひとつのものになっている」。
ハイとローの意識の違いすらもはや無い。
ストリートの一瞬でガシっと掴まれるような
ギュンギュンしたかっこよさだったり、
モードやクチュールの、見れば見るほど
心のひだに触れる美しさ。
その価値観を同じ視点で「モード」ととらえ、
水平な視点でとりこんだクリエイション、というか。
つまり
異なる要素を掛け合わせて見える違和感(=新しさ)、
という過去の価値観ではなくて
異なる要素を併存、前進させた「新しさ」。
っていうのはつまり、
この価値観の出現なのかな、と思う。
それは、KOCHEだけじゃなくて
他のデザイナーも巻き込んだ、
そしてストリートまでもを巻き込んだ
ムーブメントとして起こっているという所が
大きな違いなのだ。