Tokyo independent and underground fashion queen is here,
Nakao-chan!
「ファッションとは自分自身を表現するもの
自己表現の一つ」
というフレーズに対して
あたしはちょっと微かな違和感があって。
というのは私自身
「自分はこういう人間です」と
世間に向かってアピールしたいという気持ちが
有るか無いか、と言えば、サッパリに無いから。
ということもあって
着ているもので自己表現をしている、と言われると少し戸惑ってしまう。
at the show of 99%is-.Awesome,always!
あたしが服を選ぶ理由と言えば
例えばショーなんかを見てどうしようもなく
ときめいてしまったデザイナー、とか
大好きな友達がやってるブランド、
あとは単純に見て、触って、試着とかして
「わぁ!」って思ったものを買って着てるだけで、
そこにあんまり思想はなかったりする。
純粋に「好き!」の集積なのだ。
(※そういう意味で私はさっぱりファッショナブルではない。
着てるもので自己顕示をする意識がない、
見てくれで自己承認される事に興味がないのだ、実際。
このことに対しての詳細は、えっと、とりあえずはキックオフになる
この場所で話させてもらえれば。
多分、初めてこの件に対して突っ込んだ話をさせてもらうと思う。
『自意識過剰の向こう側に見えてきたものに関して』、というか。
詳細は コレ。
か、天狼院のお知らせの ココ! )
ただ、私の感覚的なファション感とは
反対にいるファッショナブルな彼らに対して
心から尊敬と畏怖を感じてる。
つまり99%is-に集いに集ったパンクス、
彼らはなにより筋が通っていてとても見ていて美しい。
最初は単に「ファッション(=これカッコイイ!着たい!欲しい!)」
から始まった好奇心かもしれないけれど、
ちょっとしたきっかけが
パンクスのファッションのルーツを掘る、というアクションにつながり、
彼らの思想だったり
それが生まれた背景だったりを知る契機になる。
それは
自分自身の生き方を見直す機会になり、
彼らの生き方や考え方、世の中に対しての向き合い方に
パンクな変化を及ぼしていく。
それを受けての毎日を生きる気持ちに変化は訪れて、
改めて身に着けたそれらのアイテムは
当初は見た目(=ファッション)だけで入ったものであるにせよ
自分の思想や考え方と深く結び付き
それはとても目に見えない、言葉には出来ない
「フォトジェニック」としか言えない雰囲気、もしくは迫力があり
私は心を奪われないではいられない。
心(内面)と見た目(外面)の共振具合に感動したりする。
それはとても、美しい事だと思う。
ファッションは自己表現というよりも、
自分の今感じている思想や考えが(表現しようとしなくても)
見た目に漏れ出たもの、なのだ、と改めて思う。